2019/11/30 10:00 261PV

フリースケートの普及に全力を向けるスポタス人【スポタス人インタビュー】

スポタス人とは

スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。

スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。

スポタス人紹介

大熊 勝(おおくま まさる)

プロフリースケートライダー

フリースケートを日本に普及させる為、プロライダーとして活動する。

YouTubeの動画投稿やテレビ番組に取り上げられ、精力的に活動中。

運営するフリースケートサークル:新感覚スポーツ「フリースケート」サークル

フリースケートとは

赤木:まず、フリースケートと言う競技についてお伺いしてもよろしいですか?

大熊:フリースケートとは、分かりやすく言うとスケートボードのデッキ(足を乗せる床部分)が2つに分かれた状態で乗って行うスポーツです。

自由なスケートと言う意味の競技なので、アイススケートやサーフィン・スノーボードみたいな滑り方もできます。元々はサンディエゴの学生がスケートボードを半分にしてみたところから始まったと言われていますね。

 

▲フリースケートのイメージ動画。世界大会の様子です。

 

赤木:日本に来たのはいつくらいですか?

大熊:2006年と言われています。たまたま旅行に行っていた人がアメリカで見つけてきて、それを日本に持ってきたのが始まりではないかと言われています。

赤木:そうなんですね。世界的にはどの国が強豪国になるんですか?

大熊:アメリカは今でも人気ですが、今は中国が一番人気が有ります。日本の競技人口が1万~3万人になりますが、中国はその10倍くらいの競技人口がいます。広まった順番はアメリカ⇒日本⇒ヨーロッパ⇒中国だったんですが、中国の増加は凄いですね。

赤木:中国は新しいスポーツが広まり出すと一気に競技者が増えるらしいですね。

大熊:でも、競技のレベルでは日本も負けていません。大会では3種目が競われるのですが、今年は日本が3種目とも優勝しました。それもそれぞれ別の日本人がです。

赤木:別の人達がそれぞれ優勝したのは凄いですね。

大熊:しかもそのうち2人はまだ高校生ですからね。

赤木:高校生で世界一!

日本人に合った競技

赤木:フリースケートは日本人に合ってると思いますか?

大熊:合っていると思います。元々日本人は努力家が多いです。フリースケートは個人競技なので、技ができたかできていないかで結果が見えます。特にスランプに陥る事も少ないですし、対戦相手によって自分のプレーができなくなるという事もありません。

赤木:そう考えると確かにですね。地道な練習の積み重ねで勝負できそうです。

大熊:大会だけではなく、日常生活の利便性も高いです。フリースケートは手のひらサイズとコンパクトなので、持ち運びが便利だし、移動手段としても使うことが出来ます。

歩くよりもフリースケートに乗る方が早いので、徒歩12分くらいのところでも4分くらいで行く事ができます。サイズも小さいので持ち運びもしやすく、旅行先でも使えます。

赤木:そう聞くと確かに便利そうですね。

大熊:日本人は利便性を求めるので、そういう気質にも合うと思いますね。趣味にも移動手段にも使えて、個人練習でも上達できるのはやりやすいと思います。

▲スケートボードのように斜面を使った技を出す事も

フリースケートの仕組み

赤木:このフリースケートはどうやって前に進むんですか?

大熊:主に遠心力で力を出していますが、ペダルを漕ぐような進み方もできますし、身体のバランスで動かしてもいます。

赤木:よく子どもが河川敷で乗っているボードとは動かし方は違うんですか?

大熊:ブレイブボードですね。あれとはタイヤも違いますし、進み方も違いますね。フリースケートはジェイボードよりもタイヤの幅が広く直径も大きいです。また、2つに分かれている事もあり、様々な動かし方ができます。

赤木:競技者の年齢層はどのくらいですか?

大熊:年齢層は幼稚園生から75歳の方までいます。自分でフリースケートを見つけてくるのは、20〜40代の方が多いですね。体験会も定期的にやっているし、最近は世界大会で優勝した事もあり、メディアの露出が増えた事で、学生が多く始められてます。

フリースケートに出会ったきっかけ

赤木:フリースケートをする前はどんな競技をされていたんですか?

大熊:小学校の頃は軟式野球をしていまして、中学は軟式テニス・高校では硬式テニスをしていました。大学ではスノーボード・ボーリング・ダーツ等をやっていました。

赤木:色んな競技を経験されて来たんですね。

大熊:私に限らず、いわゆるマイナースポーツをやっている人は複数の競技を経験してきているケースは多いと思います。

赤木:フリースケートはいつ知ったんですが?

大熊:大学の時に住み込みのバイトをするくらいスノーボードをやっていたんですが、社会に出るとそんな頻度でできなくなると思って、スノーボードのオフトレーニングになる競技を探してる中でフリースケートに出会いました。当時はHowTo動画なんかも無かったので、自分で試行錯誤してこげるようになるまで1ヶ月くらいかかりました。

今なら動画を見ながらやれば1週間くらいで漕げるようになりますし、試乗会に参加すれば2~3時間くらいでできるようになりますが。

赤木:漕げるようになるまで1ヶ月続けたのも凄いですね。

大熊:人混みの中でもスイスイ進む姿や、進みながらボードを自分の手で持って障害物を避ける姿などを見て魅了されて、『自分はこのスポーツにのめり込むだろうな』という確信がありました。

赤木:それくらい強烈に印象に残ったんですね。

大熊:そのうち仲間もできてきて、サークルを作ったり競技の動画を作ったりして、それを見つけてくれた他のフリースケートサークルの人が声をかけてくれて更に仲間が増えました。

▲進む途中でボード(デッキ)を手で持ったりもできるそうです。

今後の目標

赤木:今後目標にしていきたい事などお伺いしていいですか?

大熊:フリースケートもそうですが、いわゆるマイナースポーツはやり方が分からなくて辞めてしまう人も多いです。そうならないように、スムーズに競技に入っていけるような道筋を作っていきたいと思っています。

私がフリースケートを始めた頃は練習のコツなどの動画は全く有りませんでした。ですので、私が身に着けた技術は惜しみなく動画として公開しています。これは私自身がフリースケートを始めた時にとても困った事だったので、そのハードルを無くしたいと思っているからです。

赤木:確かに、競技の技術的なノウハウが手に入りにくいのはマイナースポーツでよく有りますよね。

大熊:他にも試乗会を定期的に開催したり、試乗会に来た人を今度は教える側にするような取り組みもしていて、このスポーツを安全に面白くできるようにしたいと思っています。

赤木:教える側の人が増えていくと競技者の数も増えますし、怪我や事故のリスクも減りますよね。

大熊:あとは、人の目につく所にフリースケートが置かれるようにしたいと考えて大手量販店にかけあったり、テレビ局やラジオ局にかけあって露出させてもらったりもしました。

赤木:凄い行動力ですね。そういったメディアは元々繋がりが合ったんですか?

大熊:いえ、手紙を送ったり制作会社に問い合わせをしたりしました。雑誌等のビデオコンテストに投稿してみたりもしましたし、できる事を思いつく限り試しています。

まとめ

今回はフリースケートと言うマイナースポーツの普及に尽力するスポタス人をご紹介しました。

大熊さんの取り組みは、他のマイナースポーツ普及者にとってもとても共感できる部分が多かったのではないでしょうか。

スポタスでは『スポーツ+何か』を持った人をこれからもご紹介していきます。

※フリースケートの体験会情報はこちらでご確認下さい。

この記事の記者紹介
スポタス編集部

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Urbanclimbing×drytooling - It is our project. This building has a hundred history. Special thanks! 北安大國http://daikoku.wpblog.jp Photo by Kazuhiro Kodaira #MILLET #MILLETRISEUP #キャラバン #GOBEYOND. #GOBEYONDER #cwx #GroundUP http://groundup.jp/ #urbanclimbing #drytooling Nae Yagi(@nae_yagi)がシェアした投稿 - 2017年 9月月21日午後8時59分PDT   この投稿をInstagramで見る   purpose No.004 アーバンクライミング×ドライツーリング little stars and a wish ー 曇り空の中でも輝く光とひとつの願いがあります。 もし、見てくださった方で感じてくださった方がいらっしゃいましたら、シェアをお願い致します。 また、この様な撮影に協力してくださる方がいらっしゃいましたらメッセージをお願い致します。 撮影協力:株式会社キャラバン https://www.caravan-web.com Photo by 古平 和弘 (Kazuhiro Kodaira) purpose No.004 Even on a cloudy sky, little stars and a wish. urbanclimbing×drytooling - It is our project. If you are O.K. please share. Special thanks! CARAVAN CO.,LTD https://www.caravan-web.com Photo by Kazuhiro Kodaira #MILLET #MILLETRISEUP #キャラバン #GOBEYOND. #GOBEYONDER #cwx #GroundUP http://groundup.jp/ #urbanclimbing #drytooling Nae Yagi(@nae_yagi)がシェアした投稿 - 2017年10月月3日午後7時27分PDT   この投稿をInstagramで見る   past to thrive No.006 アーバンクライミング×ドライツーリング ー過去を踏み台にして進むー Photo by 古平 和弘 (Kazuhiro Kodaira) もし、見てくださった方で感じてくださった方がいらっしゃいましたら、シェアをお願い致します。 また、この様な撮影に協力してくださる方がいらっしゃいましたらメッセージをお願い致します。 past to thrive No.006 urbanclimbing×drytooling - It is our project. -Proceed past the past as a platform- Photo by 古平 和弘 (Kazuhiro Kodaira) If you are O.K. please share. #millet #MilletRiseUp #millet_jp #キャラバン #camp_cassin #GOBEYOND. #GOBEYONDER #cwx #cwxアスリート #GroundUP http://groundup.jp/ #urbanclimbing #drytooling #iceclimbing Nae Yagi(@nae_yagi)がシェアした投稿 - 2018年 9月月3日午後8時06分PDT   この投稿をInstagramで見る   想いを重ね、繋いでいきたい。 アーバンクライミング×ドライツーリング 100年の歴史ある建物で、記念すべきプロジェクト最初の写真です。 もし、見てくださった方で感じてくださった方がいらっしゃいましたら、シェアをお願い致します。 また、この様な撮影に協力してくださる方がいらっしゃいましたらメッセージをお願い致します。 撮影協力:北安醸造(株) http://daikoku.wpblog.jp Photo by 古平 和弘 (Kazuhiro Kodaira)​​ Developing new ideas bested on study of past. Urbanclimbing×drytooling - It is our project. This building has a hundred history. Special thanks! 北安大國http://daikoku.wpblog.jp Photo by Kazuhiro Kodaira #MILLET #MILLETRISEUP #キャラバン #GOBEYOND. #GOBEYONDER #cwx #GroundUP http://groundup.jp/ #ubanclimbing #drytooling Nae Yagi(@nae_yagi)がシェアした投稿 - 2017年 9月月21日午後3時39分PDT   赤木:確かに凄く絵になりますね。 八木:もちろん一つ一つ許可を取ってやっているんで簡単にはできないですが、こういうカッコよさに訴えかける事で、多くの人にクライミングに興味を持ってもらいたいと思っています。この活動が今後どんな展開になるかはまだ分からないですが、やらないと結果は得られないですから。 赤木:海外ではこういうのって流行ってそうですね。 八木:そうですね。海外では建築物や建造物に登って、それをモチーフにして写真を撮ったりするのはメジャーですね。日本ではまだまだ広まっていませんが、だからこそ日本の良さを発信する意味でもやっていきたいと思っています。 今後の目標について 赤木:今後の目標について教えて頂いても良いですか? 八木:大会で勝っていきたいのはもちろんですが、最近はその上で色んな可能性をパラレルで考えています。今で言うパラレルキャリアみたいに、自分の引き出しを増やして『アスリートであり社長でありママである』みたいな道も模索しています。 クライミングについてももっと広く知ってもらいたいと思いますし、様々な取り組みに対してパイオニアとしての責任をもってチャレンジしていきたいと思っています。 同時に家族も守っていきたいと思っていますし、色んな人達に形のないもの(ハピネス)をあげられるように意識しています。 まとめ いかがでしたでしょうか。 過酷な条件を越えていく力強さやプロとしての高い意識、クライミング普及に対する熱意など、八木さんの取材を通して伝わるものが多くありました。 スポタスでは『スポーツ+何か』を持った人をこれからもご紹介していきます。  
2019/12/08 159PV

  • インタビュー

ビビリの少年が『ヒーロー』を目指す軌跡。沖縄拳法空手を究めるスポタス人【スポタス人インタビュー】

スポタス人とは スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。 スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。 スポタス人紹介 菊野 克紀(きくの かつのり) 1981年鹿児島生 中学校より柔道を始め、鹿児島県大会66キロ級優勝。九州大会66キロ級3位入賞する。 高校卒業後、格闘家を志して極真空手を始め、全九州大会無差別級優勝。全関西大会無差別級優勝し、総合格闘技に。 総合格闘技団体『UFC』・『DEEP』・『DREAM』・『巌流島』などの大会に出場し、DEEPでは第5代ライト級チャンピオン、巌流島では全アジア武術選手権優勝、敬天愛人では異種格闘技体重無差別ワンデートーナメント優勝の実績を誇る。 それらと並行してテコンドー競技で東京オリンピックに挑戦し第11回全日本テコンドー選手権大会東日本地区大会にて優勝、第11回全日本テコンドー選手権大会にて準優勝に輝いた。 Twitter:@kikunokatsunori Web:https://kikunokatsunori.com/ blog:https://ameblo.jp/kikuno-katsunori/ 小学校時代、ビビリな少年は一人図書館にこもっていた 菊野:僕は元々凄いビビリで、小学生の時にクラス中から無視された時期もあったんですよ。 赤木:そうなんですか!?今の姿からは想像できないです。体が弱かったんですか? 菊野:体は強かったんですが、心がビビリで、周りに対して乱暴に接してしまうジャイアンみたいな子どもでした。自分を守る為に過剰に反撃してしまってたんだと思います。 赤木:大人も自分に自信が無いとちょっとした事でも気持ちが乱れたりしてしまいますからね。 菊野:当時はずっと図書館にこもってました。孤独で寂しくて、余裕や自分への自信が無かったんです。この『根がビビり』と言うのは僕の人生の中でずっと続いていたテーマでした。 赤木:格闘技を初めてその状況が変わったんですね。 菊野:そうですね。中学に入って柔道を始めた事で、自分の中で変化が起きました。 ▲小学校時代 柔道と出会って変わった意識 赤木:柔道を始めたきっかけについて教えて頂いていいですか? 菊野:中学に入ったら武道をやりたいと思っていたんですが、進学した中学校が鹿児島の東谷山中学というところで武道系の部活動が柔道と剣道だったので生身で戦う柔道の方が向いていると思って柔道を始めました。 赤木:柔道を初めて意識は変わりましたか? 菊野:自分に自信がつきましたね。最初は先輩にはまったく歯が立たなくて、同級生ともどっこいどっこい。デビュー戦でも同学年に負けました。でも、練習していく中で結果が出るようになって楽しくなってきました。喧嘩も強くなって心に余裕ができるようになりました。 ▲中学時代 赤木:強くなる事によって心に余裕が生まれたんですね。 菊野:そうですね。これは喧嘩に限らず、例えばお金についてもそうですが、余裕が無いと心がトゲトゲしてしまうんですよね。 赤木:なるほど。ことわざの『貧すれば鈍す』みたいな話ですね。 菊野:自分が強くなった事で弱いものイジメとかも止められるようになったり、周りに対して寛容になれました。それで友達が増えて学校が楽しくなって、良い流れになっていきました。 赤木:格闘家の人って荒っぽい人がやってるイメージなんですけど、菊野さんのお話聞いているとそういう感じがしないんですが、試合の時に闘争心を出したりって難しいんじゃないですか? 菊野:僕は根は真面目で優しい方だと思いますが、試合中はスイッチ入りますね。ビビりなんですけど 笑 『ビビり』とは 菊野:『心技体』と言う言葉が有りますが、これは本当に大事だと思います。例えば誰だって裸で戦争に行けないですし、それを勇気とは言わないですよね? 赤木:確かに、勇気とは違いますね。 菊野:きちんとした準備が無いと勇気は湧かないんです。強くなるからこそ恐い相手にも立ち向かう事ができる。体を鍛えて技術を習得するから心も鍛えられるんです。 赤木:そう考えると『ビビり』ってある意味正常と言うか、自分の事を正しく認識できているとも言えそうですね。 高校柔道での挫折 赤木:高校進学後も柔道を続けられたんですよね? 菊野:はい。高校では鹿児島県66キロ級で優勝し、九州大会3位まで入賞できました。 赤木:華々しい活躍ですね。 菊野:ですが、3年のインターハイ予選の2回戦で1年生に負けてしまい、それが引退試合となりました。 赤木:そんな1年生が現れたらショックですよね。 菊野:その前の大会で優勝して調子に乗ってたのですが1年生にあっさり負けて伸びた鼻をポッキリ折られました。 赤木:自信の根拠が柔道だったから、それを折られてしまうと気持ちの拠り所がなくなってしまいますよね。 菊野:高校3年生のインターハイ予選が終わり周りは受験モード、でも僕には夢も目標も無くて悶々としていました。 親友達の夢に衝撃を受けて 菊野:そんな時、親友2人に公園に呼び出されていきなり「俺らコンビでお笑い芸人になってビッグになる」と言われたんです。衝撃でした。そして親友だからこそ負けたくありませんでした。 ものの数分だったと思うんですが走馬灯のように自分探しをして、見つかったのはやっぱり「強くなりたい」という思いだったので、その場で彼らに格闘家になると宣言しました。 赤木:その出会いが無かったら今は全く違ってたかもしれないんですね。 菊野:間違いなく彼らがいなかったら格闘家になっていなかったです。 高校卒業後、極真空手の門を叩く 菊野:高校を卒業して、土木作業員をしてお金を貯めながら極真空手に入門しました。 赤木:お金を貯めるのは何か特別な目的があったんですか? 菊野:上京して言い訳が出来ない環境で総合格闘技を学ぶためです。実家住まいでお金を貯めながら近所の極真空手の道場で身体を鍛えました。たまたまなんですが、そこの指導員が極真空手の世界チャンピオンの「木山 仁」さんだった事からチャンスだと思い1年後に内弟子にさせて頂いて、4年間空手三昧の生活を送らせて頂きました。 ▲内弟子時代の1枚 23歳で東京に出るも、不運な怪我にみまわれる 赤木:4年間修業した後、東京に出て来られたんですか? 菊野:はい。東京でアライアンスという一流が集まるジムに入門して、必死に練習して結果が出始めた矢先に練習中の事故で靭帯を断裂してしまいました。これからという時だったんですが、手術して1年間試合が出来ませんでした。 赤木:靭帯の怪我はきついですね。 菊野:練習ができないのは辛かったですね。足も細くなっていきますし、人生が前に進まなくなった感覚はありました。 赤木:やっと東京にやってきて靭帯損傷ですからね。。その間、自分の支えにしていた事などありましたか? 菊野:やはりリハビリですね。リハビリに明け暮れる事で自分の精神を保っていたと思います。でも、その頃の経験があったから、健康の有難さ、人の有難さ、そして格闘技が出来ることの有難さが分かりましたね。 『有り難い』って言葉の意味は『それが有る事が難しい』という事で、まさにその通りだなと感じました。当たり前に有ると思っていたものが、実は当たり前に有る訳ではなくて、だからこそ『有り難い』と感じるんだと思います。 赤木:そういった気持ちを知った事も、復帰後のご活躍に繋がっているんですね。 沖縄拳法空手との出会い 赤木:菊野さんの経歴の中で、沖縄拳法空手との出会いはかなり大きかったんじゃないかと思うんですが、沖縄拳法空手との出会いについてお伺いしても良いですか? 菊野:怪我から復帰して、大きな舞台で活躍する事ができていたのですが、同時に限界も感じていました。世界のトップどころと比べると僕は決して肉体的な才能がある訳ではないですし、50m走も7秒台、ベンチプレスは100キロ程度です。何かが跳び抜けているわけではありませんし練習環境はアメリカには敵わない。そして世界一努力が出来るかと言われたらそんな根性もない。 今のままでは、今の延長線上では世界に勝つイメージが湧きませんでした。 赤木:海外の選手は体格もパワーも有りますからね。 菊野:だから自分だけのオンリーワンの武器が必要だと思い、色んな武術を探求していたところで沖縄拳法空手に出会いました。沖縄拳法空手はいわゆる古武術と呼ばれるもので、長い歴史を持ちます。そういった武術はスポーツ化されておらず、実戦に即した超合理的な武術です。 その古武術の中でも『本物』と呼べるものに出会う事ができました。それは先生だけじゃなくお弟子さんも強い方がいらっしゃって、軽く突きをくらっただけでも凄い衝撃を受けました。 赤木:お弟子さんも強いと言うのは確かに重要ですね。先生だけが特別ではなくて、その武術そのものに強さの再現性が有りますから。 菊野:そうです。「沖縄拳法空手というシステムは凄い!」と強く感じました。 沖縄拳法空手を学んでからの変化 赤木:沖縄拳法空手を学んで、ご自身で変わったと思う事は有りましたか? 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菊野:敬天愛人でビビりの劣等感は克服したので強くなりたいというモチベーションは落ち着きました。だから新たなモチベーションを模索しています。その一つとして今年1年はプロとしての活動を控えて、沖縄拳法空手菊野稽古会を主宰し指導にあたっています。 僕のように自信を持てない方達に勇気付けが出来たら嬉しいです。。 毎月体験会だったり『目からウロコ会』という、初心者向けの無料体験会なども開催しています。沖縄拳法空手なら誰でも、何歳からでも強くなる事ができますので、色んな人達に沖縄拳法空手を知ってもらいたいと思っています。 ▲子どもたちへの指導も熱心に行っている 『ヒーロー』という羅針盤 菊野:僕の中で、ヒーローに対する憧れは小さい頃からずっとありました。 赤木:ヒーローですか? 菊野:漫画とか読まれますか?漫画のヒーローって強くて優しくてカッコいい、勇気のある人として描かれる事が多いですよね。どんな強敵が相手でも、ビビっても勇気を出す。そこがカッコいいんです。 赤木:確かにヒーローってそういうイメージですね。 菊野:『ヒーローとはなんぞや』と言うのを常に考えていて、色んな時に『自分の思うヒーローならこうする』を指針にして行動しています。 赤木:自分の在り方としての『ヒーロー』を目指されているんですね。 支えてくれる人達の存在 赤木:今までご自身を支えてくれた人達について教えて頂いて良いですか? 菊野:我ながらとてもとても人に恵まれています。格闘道イベント「敬天愛人」の開催費用が3000万円以上かかったんですが、たくさんの方達の協力で開催する事ができました。お金の面でも人手の面でも本当に有難かったです。下手したら借金地獄になるところでしたから(苦笑) 赤木:3000万円は凄いですね。。 菊野:あらゆるリスクが有る中で成功できたのは、支えてくれた人達のおかげです。その分、自分自身がしっかりと自立して恩返しできるだけの力をつけていきたいと思っています。 まとめ いかがでしたでしょうか。 ヒーローに憧れるビビりの少年が世界王者を倒していく様は、そのまま格闘漫画の主人公みたいなストーリーでしたね。 強くなる事に関する考え方もとてもロジカルで、今まで格闘家の方に持っていた印象が強く変わるインタビューでした。 スポタスでは『スポーツ+何か』を持った人をこれからもご紹介していきます。
2019/11/23 495PV

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