2019/10/08 10:00 977PV

Jリーグを目指さないサッカークラブ。サッカーの無限の可能性を広げ、価値を伝えていきたい。FC.BANDELIE(バンデリエ)の挑戦【スポタス人】

インタビュー

スポタス人とは

スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。

スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。

スポタス人紹介

岸 幸太郎

1990年 大宮生

幼少期よりサッカーを始める。中学時には高円宮杯U-15サッカーリーグ・Jユースカップ全国優勝。高校時には高円宮杯U-18サッカーリーグ全国優勝を果たす。

その後、東京学芸大学に進学し、教員免許取得に向けて勉学に努めながら、蹴球部では部の副主将・ゲームキャプテンも担い、組織運営を経験する。

現在は社会人として働きながら、自身で創設した社会人サッカークラブ『FC.BANDELIE』のクラブ運営を行う。

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サッカーを始めたきっかけ

赤木:まずはサッカーを始めたきっかけからお話頂いてよろしいでしょうか。

岸さん:サッカーを始めたのは4歳頃です。当時は幼稚園の年中で、近所のお兄さん達が公園でサッカーしているのに混ざったのがきっかけです。大宮に住んでいたのですが、浦和から近いということもあり、比較的サッカーが盛んな地域でした。

赤木:サッカーが盛んな地域だと、幼少期からサッカーに触れる事が多いですよね。

岸さん:そうですね。そこから幼稚園のサッカークラブに入り、小学校では地元のサッカー少年団に入団しました。幼稚園の頃はプロサッカー選手とかを目指していたわけではなかったのですが、近所のお兄さん達と一緒にプレーしていたことで同年代よりは運動神経も良かったかもしれません(笑)

そういったこともあり、小学校ではキャプテンなどを任されたり、チームの中心選手として、トレセンに選ばれたりもしました。それが小学4年生の頃ですね。そのあたりから本格的にプロを意識し始め、平日には別のスクールに通ったりもしていました。

▲幼少期時代の活躍の一枚

赤木:そしたら練習はどれくらいの頻度でされていたんですか?

岸さん:小学校低学年までは土日だけでしたが、中学年あたりから平日はクーバーコーチングのサッカースクールに入り、週4~5日の頻度で練習をしていました。平日練習のおかげもあり、トレセンに選ばれたり、小学生の一番大きな大会で少年団の歴史上でも上位に入るくらいの結果を残せたりしたと思います。

中学・高校時代の活躍

赤木:めちゃくちゃエリート少年だったんですね!小学校を卒業した後はどうされたんですか?

岸さん:いや、そんなことないですよ!卒業した後は、浦和レッズの下部組織である浦和レッズジュニアユースに入りました。

赤木:入るのは難しいんですか?試験とかあるのでしょうか?

岸さん:小学校6年生の時に試験があるんですが、大体500~600名が参加します。その中から20名弱が選ばれる形となります。

同期には、現在プロサッカー選手として活躍している山田直輝選手、高橋峻希選手、永田拓也選手などもいました。

赤木:中学・高校での結果や成績を教えてください。

岸さん:中学3年生時に夏・冬と全国優勝し、高校3年生の時にも、最後の大会(高円宮杯)で日本一になったことです。

▲中学時代、高円宮杯U-15サッカーリーグ・Jユースカップ日本選手権優勝!

 

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▲高校時代のTOPチームとの練習試合風景。高円宮杯U-18サッカーリーグでは全国優勝を果たす。

怪我に悩まされる時期

赤木:そしたら順風満帆な青春時代だったんですね!

岸さん:いえ、中学3年生の日本一になった大会の予選で怪我をしてしまい、そこから怪我を繰り返していく生活になりました。

赤木:怪我の箇所はどこだったんですか?

岸さん:そのときは足の甲にヒビが入ってしまい、そのあとは腰を痛めたり、股関節を痛めたりと、怪我には長い間悩まされましたね。

赤木:ちなみに今は完治されたんですか?

岸さん:今はもう大丈夫なんですが、その時期に怪我をしたことでまわりとの差が少しずつ離れていきました。怪我を言い訳にして、本来できる事もできないと思い込むようになってしまったり、逆に治り切っていないのに試合に出場してしまったり、色々ともがいていた時期でした。

プロを諦めるまで

赤木:それは大変でしたね。 高校卒業後はプロになれず、どうしたんですか?

岸さん:大学サッカーに進み、4年間プロサッカー選手を目指して再出発しました。ただ、結果的には、プロにはなれず、部活の引退と同時にプロサッカー選手を諦めました。

赤木:プロサッカー選手を諦めたときはショックだったんじゃないですか?

岸さん:それほどショックでは無かったです。高校最後の大会で決勝だけメンバーに入れなかったことがすごく悔しくて、大学サッカーでは、必ず試合に出て自分の力をピッチで表現したいと思っていましたので。やれることはやっての結果だったので現実を受け止められました。

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▲大学4年生時には部の副主将・ゲームキャプテンとして活躍

卒業と『アローレはちきたFC』のチーム運営

赤木:大学卒業後はどういった進路に進まれていたかお伺いしてもよろしいですか?

岸さん:文部科学省のプロジェクトメンバー(派遣アスリート)として、小学校や地域のスポーツクラブに派遣されていました。スポーツクラブは「はちきたSC」という名前ですが、そこにあるサッカーチーム「アローレはちきたFC(現:アローレ八王子)」のチーム運営にも携わりました。

なので小学校では体育の授業を担当したり、体育の苦手な先生にアドバイスをしたり、アローレではクラブ運営をしたり、サッカースクールのコーチなどもしていました。

赤木:派遣アスリートという立ち位置でクラブ運営までするって、かなり大変だったんじゃないですか?

岸さん:確かにハードでした。でも大学で学んだ教員もできて、自分の好きなサッカーをすることも、教えることも、支えることも経験できたのでとても充実していました。

それにNPO法人として地域密着のクラブ運営をしていたため、仲間と地域の人を巻き込めれば、チャレンジしたい事をチャレンジさせてくれる環境だったのですごく貴重な経験でした。そういったこともあり、サッカーのチーム運営から、クラブ経営で学ばせてもらうことができたと思います。

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▲はちきたSCでは、チーム運営、コーチ、選手として活躍

 

赤木:具体的な取り組みなどお聞きしても良いですか?

岸さん:私がクラブに入った時のサッカーチームは、リーグの中で下から3番目くらいで、練習に参加する人数も3人だったり、ひどい時は1人しかいなかったりしていました。

それでもJリーグを目指すと掲げていたので、どうにかしなければいけないということで、選手への関わり方、SNS活用、練習の見直し、選手の補強、セレクションの導入、監督の招聘など新しい取り組みをたくさん仕掛けていきました。

赤木:改革を行ったんですね。それで結果はどうでした?

岸さん:2年在籍していたんですが、降格争いをするチームから、昇格争いができるチームまで成長しました。

赤木:その経験は大きな財産ですよね。

スポーツクラブの立ち上げ

赤木:その後もサッカーに関わってお仕事をされてきたんですか?

岸さん:はい。地元に戻って、総合型地域スポーツクラブを立ち上げました。

赤木:総合型地域スポーツクラブ?

岸さん:地元で育った人や、その地域に住んでいる人達がスポーツや文化活動で集まれる場という立ち位置の地域に密着したスポーツクラブです。はちきたSCが総合型でしたので、自分も地元に総合型のスポーツクラブを創りたいと思って始めました。

赤木:規模は大体どれくらいだったんですか?

岸さん:2年で100名くらいまで集まりました。年齢層は3歳~80歳と幅広かったですね。

FC.BANDELIEの設立

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▲仲間達との1枚

 

赤木:FC.BANDELIEについては、いつくらいに設立されたんですか?

岸さん:スポーツクラブを立ち上げて2年目ですね。2016年の1月です。サッカースクールの子どもたちにとって、将来の憧れとなるようなチームを創りたくて設立しました。

赤木:FC.BANDELIEは社会人クラブですよね?

岸さん:社会人メインですが、今は大学生もいます。それと、子どもとの関りも少しずつ増えてきていて、普及活動の一環として、葛飾区の子どもたち中心にサッカーを教えたりもしています。将来的には育成チームも創りたいと思っていますし、シニア層のチームも創りたいと思っています。

赤木:幅広い年齢層に展開していく事を視野に入れているんですね。

岸さん:そうですね。私の理想としては、子どもから年輩の方まで、サッカーを通じて様々な人が繋がるようなコミュニティを作りたいと思っています。

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▲クラブ代表兼選手として活躍

拠点を持たないサッカークラブ

岸さん:実はFC.BANDELIEは特定の拠点がまだ決まっていません。

赤木:そうなんですか?

岸さん:正直、無いなら無いでそれもアリかなと思っています。特定の地域だけを巻き込むなら拠点が合った方が勿論良いんですが、地域を特定してしまうと他の地域の方々との関りも薄くなってしまい、できることも限られてしまうのではないかなと考えています。

案外、特定の地域を拠点にしない方がより多くの方々と関わることができ、沢山のファンもついて下さるんじゃないかなと思っています。その分大変ではありますが、Jリーグ参入を目指さないクラブだからこそできることだと思いますね。

FC.BANDELIEの目的

赤木:先ほどお聞きした話と重なるんですが、FC.BANDELIEのチームとしての目標をお伺いしても良いですか?

岸さん:現在の目標は1部昇格です!ただ、それは手段の一つでしかないです。

FC.BANDELIEの目的は「サッカーから新たな価値発見の機会を創出し、より充実したライフスタイルに貢献する」ということです。つまり、より多くの方々の生活に貢献できるようなクラブとなり、「サッカーの可能性を広げ、価値を伝えていく」ということです。

価値を伝えていくための手段として、強くする・広報する・触れ合うなどを意識して活動しています。サッカーである程度強くならないと、興味すら持ってもらえないと思いますしね(笑)。

赤木:岸さんの考えるサッカーの価値ってどういった所にあると思われますか?

岸さん:人を成長させ、人と人を繋げられる無限の可能性を秘めているところです。

私はサッカーで育てられた人間です。サッカーがあるからこそ、様々な考え方、生き方、人と繋がりを形成してきました。

サッカーは人を育てる事も、繋げることもできるスポーツだと思っていますし、それがサッカーの価値だとも思っています。

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赤木:その価値を伝える相手は地域の人達になるんでしょうか。

岸さん:地域の人というより、自分たちと関わりのある方々になりますね。正直、『日本サッカー界を変える!』というよりは、身近な人達の考え方や在り方を変えたいと思っています。

今の子どもたちは目標がYoutuberだったりプログラマーだったり、クリエイター寄りな印象を受けます。それが悪いという訳ではないですが、少なからず社会的なサッカーの立ち位置が低くなり、それに伴う親の判断軸、子どもにさせる習い事も変化してきていると思っています。それは教員をしていたときにすごく感じました。

赤木:そのような状況にはなぜなってしまったのでしょうか?

岸さん:その要因の1つとしては、よく言われているアスリートのセカンドキャリアが明確に打ち出せていないという状況もあると思っています。

サッカー選手になったとしてもセカンドキャリアで苦しむ、プロを目指してもなれなくて就職に悩んでいるなどです。

だからこそ、プロになっても、なれなかったとしても、最終的に社会人として活躍していて、それがサッカーのおかげと皆が胸を張っていえる社会をつくっていく必要があると考えています。

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▲ファンの方と一緒にBBQイベントを開催する事も

今の選手達に足りないもの

赤木:岸さんから見て、今の現役選手に「もっとこうしたら良いのに」と思う事って有りますか?

岸さん:選手として食べていけなくなった時のことは、プロになった時から常に意識しておいた方が良いと思います。もちろん現役中は、活躍をして日本代表や海外などを視野に入れて頑張らなければいけないとう考えもあると思います。

ただ、世の中も変わってきて兼業や副業、パラレルキャリアやデュアルキャリアという言葉が広がってきているように、いかに現役中から次の事を考えながら活動していくかが重要だと考えます。プロとして生涯年収以上を圧倒的に稼げれば最高ですが、それがダメだった時にどうするかを考える事が大事ですね。仕事でいうリスクヘッジです。

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赤木:その辺り、なかなか難しいところですね。現役でいる間からダメだった事を考えると言うのは、気持ちで負けてしまうような感じになってしまいそうで。

岸さん:リスクヘッジに対してなかなか腑に落ちない部分は有るでしょうね。例えば複業を考えるにしても、どうしても今の価値観だと選手と商売をかけもちする事は非難されがちだと思いますし、だったら体のケアやトレーニングに費やせというファンもでてくるでしょう。

赤木:そんな現状をFC.BANDELIEとしてどのように解決していきますか?

岸さん:直接的な変化を促すのではなく、間接的に変化を増やしていくことで解決できると考えています。

サッカーをしていたことが社会での活躍に活かされている人や、逆に今悩んでいる人のサポートをしてくことで数年後に活躍できていたり、FC.BANDELIEがたくさんの方々のハブとなっていき、プロがゴールではない、サッカーがあったから今がある、という人がいるということを世の中に伝えていきたいです。

また、現役選手とビジネスを繋ぐような動きができても面白いと思います。FC.BANDELIEはサッカーチームではありますが、沢山の方々のハブとなり、活躍の後押しや課題の解決ができるクラブになっていきたいと思います。

そしてサッカーの無限の可能性を広げ、価値を伝えていきたいと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は、『サッカーの価値を伝える』と言う事を軸に、サッカーを通じての人としての成長やアスリートのキャリア形成など多岐に渡ってお話頂きました。

スポタスでは『スポーツ+何か』を持ったスポタス人をこれからもご紹介していきます。

この記事の記者紹介
スポタス編集部

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