2019/10/08 10:00 319PV

女子軟式野球の若き名将が語る、野球と地域貢献の理想【スポタス人インタビュー】

インタビュー

野球と言うとプロ野球やメジャーリーグ、甲子園と言ったものをイメージする事が多いかと思いますが、女子野球も盛り上がりを見せています。

今回はそんな女子野球界を牽引しているスポタス人をご紹介します。

スポタス人とは

スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。

スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。

小花 利文

1985年 神奈川生まれ 東京アンビシャス 球団代表兼監督 早稲田大学女子軟式野球サークル 監督 世田谷フラワーズ 監督

小学校3年生から野球を始める。日本体育大学在学中に女子軟式野球部の監督を務め、7連覇の偉業を果たす。

現在は社会人女子軟式野球クラブ『東京アンビシャス』・早稲田大学女子軟式野球サークル『WASEBI』・『世田谷フラワーズ』の監督を兼任する。

 

小~高校まではプレイヤーとして

小花さん:野球は小学校3年生から始めまして、最初はプロを目指してやっていました。でも、高校に入る頃にはプロになると言う気持ちはあまり無くて、高校野球の監督になりたいと考えるようになりました。その気持ちから、大学も日本体育大学を選ぶ事にしました。

大学1年生から女子軟式野球のコーチに

赤木:女子軟式野球の監督は大学生の頃から始められたんですよね?でも日本体育大学(以下日体大)って強豪だったんじゃないですか?

小花さん:はい、その頃で全国3連覇中でした(笑)

赤木:えー!そんな部の監督って、実績無くいきなりなれるものじゃないんじゃないですか?

小花さん:そうですね。高校の先輩がプレーヤーとして女子軟式野球部にいたので、その紹介でコーチを任される事になりました。私としても在学中に指導の勉強ができるのが魅力でしたので。それが1年生の時なんですが、その年も優勝して4連覇になりました。

突然の監督交代、連覇へのプレッシャー

赤木:監督に就任したのはいつだったんですか?

小花さん:大学3年生の頃ですね。その頃5連覇を達成していたんですが、そのタイミングでいきなり監督交代になりました。

赤木:それって凄く大変な事じゃないですか?在学中にいきなり日本一のチームの監督を任されて、チームメイトも同級生とか先輩だったって事ですよね?

小花さん:あの時は本当に大変でしたね(笑)6連覇がかかっている中、いきなりの監督就任ですから。まず選手達に衝撃が走りました。監督と選手との信頼関係が凄く強かったので、その監督が引退して同級生が監督になる訳ですからね。

赤木:壮絶ですね、、練習のやり方などは監督のやり方を踏襲していたんですか?

小花さん:そうですね。以前、合宿中に『女子野球とは』と言うノウハウを教えて頂いていましたので、それをベースにして、練習についてはあまり自分の色は出さないようにしていました。

「あんたが監督だったら嫌だ」と言われるような事も

赤木:選手の中に衝撃が走ったと仰っていましたが、メンタル面のケア等大変だったんじゃないですか?

小花さん:そうですね。男子野球の世界であれば私も慣れているのでどう接したら良いか分かるのですが、女性の場合はまた違ってきます。これが社会人の実業団などであれば別かもしれませんが、大学生はまだ精神的に未熟だったりするので。

赤木:6連覇に向けての山場などあったんじゃないですか?

小花さん:正直、山場の連続で一つ一つの出来事はあまり覚えていないです(笑)例えば選手に「あんたが監督だったら嫌だ」と言われた事もありますし。仲は良いんですが、やはりそれと野球は別ですからね。

赤木:そんなに大変だったら、辞めた選手も多かったんじゃないですか?

小花さん:有難い事に、実は指導方針が理由で辞めた部員はいなかったんです。

赤木:そうなんですか!?どんなマジックを、、

小花さん:私自身は前監督の代役といった立ち位置で、チームを一緒に作ると言う意識を浸透させるようにしていました。他にも、人として尊敬してもらえるようになる事を最初は重視していましたね。

赤木:人として尊敬してもらえるってなかなか難しいですよね。何か具体的にされていた事とかありますか?

小花さん:例えば野村克也監督が選手とのミーティングで野球の話をするのではなく人間としての話を説いたと言うエピソードがあるんですが、それと同じように、野球を通した人としての成長とか、成功者の考え方を伝えていきました。それもまずは自分が学んで、それを伝える形です。

同い年くらいの人にそういう事を言われる経験が無かったらしく、そういった話は刺さったようです。

赤木:確かに、部員の方もそのままプロになる訳じゃないですし、卒業後の事もありますよね。将来を見据えた話をして、今に落とし込むというのは部員の方にとっても良かったんでしょうね。

小花さん:人間としての成長を促すのは試合でも良い点があって、女子の大学野球は能力よりメンタルに影響される事が多いです。強いチームでも、ちょっとした事で勢いが変わったりして負ける事もあります。そういったメンタル面を強化する上でも、人としての成長を促す事が重要でした。

そして連覇へ

赤木:そして連覇を達成したんですね?

小花さん:はい。チームは6連覇目の優勝を果たしました。軟式野球は大学リーグの日本一と社会人リーグの日本一で最後に戦うんですが、そこでも勝つ事ができました。

赤木:そして次の年も優勝して、7連覇を達成したんですね。

小花さん:そうですね。やはり後任になった最初の年が一番大変でしたが、6連覇してからやっと監督としての実感があった気がします。

▲6連覇達成の記念写真

▲そして7連覇へ

実業団女子ソフトボールチームの監督に就任するも、そこは65連敗中のチームだった。

赤木:卒業後も軟式野球の監督を続けられていたんですか?

小花さん:いえ、女子ソフトボールの実業団から監督のオファーを頂きまして、それを受ける形で就任しました。

赤木:強豪チームだったんですか?

小花さん:それが、私も就任後に知ったんですが、4年間で1勝もできていなかったチームだったんです。65連敗中でした(笑)

赤木:実業団でそんな事ってあるんですか!?

小花さん:他のチームとの個々の実力差が大きかったですね。こっちは県大会2回戦の外野手くらいなんですが、相手はインターハイの4番だったり、エース級を集めたようなチームで、就任後の初戦は20対0で負けました。

見つけた可能性。そして勝利!

小花さん:そんなチームだったんですが、私は「それでもそんなに差は無いはず」と考えていました。相手の選手とも年齢も一緒でしたし。

赤木:20対0の相手にそう思えるのは凄いですね。

小花さん:相手チームにもこちらの連敗の話は届いているので、「あそこに負けたら恥だ」という気持ちが働いているように思えたんです。こちらもそういう気持ちを受けているので、相手が強く見えてしまって、結果的に大差で負けているんじゃないかと考えました。

赤木:なるほど、そういった気持ちが働くのは分かりますね。

小花さん:私は選手達に、『負けて当たり前』と言うマインドで試合に臨むよう指導をしました。

元々実力で明らかに劣っているので、まずはそこからスタートさせようと思ったんです。

赤木:確かに、負ける事が前提なら、あとはちょっとでも良い試合にできたら儲けものですよね。

小花さん:でもそれが上手くいって、普段より良いプレーができるようになったんです。そうすると今度は対戦相手が焦ってミスをしたりするようになって、そこでまた自分達のチームに勢いがついて、そんな事をやっていく中、監督就任後5試合目で初勝利を得る事ができました。

赤木:65連敗中のチームに就任して5試合目で勝てたって凄い快挙ですね。

小花さん:日体大の監督の時にも思っていましたが、やはりメンタルはプレーに大きな影響を及ぼす事がここでも分かりましたね。

再び女子野球の世界へ

赤木:女子野球の監督に就任したのはそういうきっかけだったんですか?

小花さん:ちょうど女子野球が盛り上げってきたタイミングだったのと、女子野球の大会『ジャパンカップ』で教え子の試合を見ていて、また女子野球の世界に戻ろうと思いました。どうせ戻るなら自分でチームを新しく作りたいと思って、社会人の女子軟式チーム『東京アンビシャス』を作りました。

赤木:やはりそこも軟式野球だったんですね。

小花さん:硬式のチームを作ろうかとも思っていたんですけど、私がいた日体大の方針として『生涯スポーツの普及』と言うものがります。女子の硬式野球だと体への負担が大きいですが、軟式ならそれができると思ったんです。また、先々大きい組織にする事も視野に入れていましたので、軟式のチームを母体にしたいと言う理由も有りました。

早稲田大学女子軟式野球サークル『WASEBI』の監督へ

赤木:早稲田大学の女子軟式野球チーム(以下、WASEBI)の監督もされていると思いますが、どういったキッカケだったんですか?

小花さん:WASEBIのチーム員からある日「東京アンビシャスの練習に参加したい」と連絡がありまして、練習に参加してもらったんです。その後、「WASEBIの練習を観て欲しい」と言われまして、そこから監督のオファーを頂きました。

赤木:そのチーム員の人も凄い行動力ですね。人数は何人くらいですか?

小花さん:全部で20人くらいですね。実は半分くらいは大学から野球を始めたメンバーですが、今なら日体大とも5分にやれるくらいまで育っています。

赤木:大学から野球を始めたのに、日体大と5分って凄いですね!やはりメンタルを鍛えているからですか?

小花さん:メンタルもですが、彼女達は元々自頭が良いいので、覚える要領はとても良いです。スポーツ初心者も多いので、運動神経を伸ばさせる事から始めています。

赤木:なるほど、確かに勉強が得意な人って覚える事が得意な人だから、運動神経さえ伸ばせば成長は速そうですね。

小花さん:練習もメニューは選手に決めさせています。選手達から練習メニューとその意図について提案をもらって、良いと思ったら実施しますし、もっと工夫の余地があればそれを伝えます。メニューを考えるには色んな練習の動画を見せたりして、効率的なメニューについて考えてもらうようにしています。他にも、季節によって練習の長さを変えたり。ずっと同じ事をやっていると、それが悪い意味で習慣化してしまいますので、絶えずなぜ今その練習をしているのかを意識してもらっています。

赤木:練習頻度はどれくらいですか?

小花さん:練習は火曜・金曜の日中です。日中だから、授業の関係で来れないメンバーもいます。そういうメンバーは東京アンビシャスの練習に来たりしていますね。他にも、バッティングセンターのレディースデーの日を自分達で調べてバッティング練習に行ったり、とにかく自分達で何とかする意識を持つようにしています。

▲WASEBIのメンバー達

ユニホームのクラウドファンディング

赤木:WASEBIと言えば、先日クラウドファンディングでユニホームの資金調達に成功したんですよね。あれは凄かったですね。

※クラウドファンディングについてはこちら

https://camp-fire.jp/projects/view/168207

小花さん:ユニホームは元々有ったんですが、パッと見てWASEDAって分かりずらくて。全国大会に出た時に早稲田を背負って、それが自分達の力になるようなユニホームにしたかったんです。でも野球のユニホームを一式揃えると3万円くらいするので、学生にはちょっときついんですよね。特に4年生は後1大会だけですし、そこに3万円を出してもらうのは厳しいので、クラウドファンディングで支援を募る事にしました。

▲クラウドファンディングは目標の120%超えて達成

東京アンビシャスについて

赤木:東京アンビシャスの目標はやはり社会人リーグ日本一ですか?

小花さん:東京アンビシャスは世田谷区で活動をしているチームで、女子野球の普及発展を目的にしていますが、その中でも

  • 選手育成
  • 海外にも通用するような人材の育成
  • 地域社会貢献
  • 国際貢献

といったテーマを持っています。これらはチームとしての活動と関連が強く、これらのテーマを果たせるチームになったら自然と日本一になると思っています。

赤木:そうなると、いずれWASEBIが学生リーグの日本一を取って、東京アンビシャスが社会人リーグの日本一を取るって未来も有り得ますね。

小花さん:はい。その時はWASBIと東京アンビシャスで最終戦をする事になりますね。

赤木:そうなったら小花さんはどっちの監督をやるんですか?(笑)

小花さん:両方でしょうね(笑)攻守変わるタイミングで変わる感じかな。

赤木:歴史に残る試合ですね(笑)しかもそれが世田谷のグラウンドに行ったら日常的に観れるんですよね。それもまた面白い。

▲東京アンビシャスのメンバーと

今後やっていきたい事

赤木:これから先の構想などはありますか?

小花さん:野球のキッズスクールを作っていきたいと思っています。他にも、今の組織ももっと規模を大きくしていきたいですし。下の代から育てていって、どの世代にも十分な人数が揃うようにしていきたいです。他には硬式野球チームも作ってプロチーム化したいですね。独立リーグを作るのも面白いですし。

赤木:なるほど。お話お聞きしていると女子野球の世界が更に面白い事になりそうでワクワクしますね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

女子野球チームのマネジメント、地域との関わり、選手の人としての成長。

野球という競技を通じて、様々な物語が見えたのではないでしょうか。

小花さんのお話は女子野球だけではなく、野球の未来を考える上でもとても有意義なものではないかと思います。

スポタスでは『スポーツ+何か』を持ったスポタス人をこれからもご紹介していきます。

この記事の記者紹介
スポタス編集部

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