2019/08/03 10:00 533PV

ベンチャースポーツ『パデル』とBBQを通じたコミュニティ創り。スポーツを通じた場づくりとは。【スポタス人インタビュー】

パデル

スポタス人とは

スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。

スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。

パデルについて

今日はベンチャースポーツ『パデル』のスポタス人をご紹介します。

皆さんは『パデル』と言う競技をご存知でしょうか。

スペインで40年前に始まった、テニスとスカッシュを足したような、簡単に言うと壁に囲われた、ダブルスのみのテニスです。

今回は、パデルとBBQを組み合わせた『ガクパデ』と言うイベントを通じてコミュニティを運営している渡辺さんに取材をしてきました。

※パデルについてはこちらの動画を見ると分かりやすいです。スペインのトッププロのパデルはこのようにエキサイティングなプレーが繰り広げられますが、運動をあまりしていない初心者の方でもすぐに始められるのも魅力の一つです。

 

スポタス人紹介

インタビュー

渡辺 岳(わたなべ がく)

1980年東京生まれ新潟育ち。三姉妹の父。本名はたかしと読むが、呼びやすくて覚えやすいことから大学時代についたあだ名のガクを愛用。職場でも友達からもガクと呼ばれている。

中・高・大とテニスをプレーする。2016年にパデルに出会い、パデルとBBQをミックスさせたガクパデというイベントを企画運営している。

学生時代について

渡辺さん:大学ではテニスサークルに入っていたんですが、なんか違うと思って3年で辞めてしまったんです 笑

赤木:そうなんですか!?今のコミュニティ運営をしている姿からはイメージできないですが。。

渡辺さん:100人くらいの規模で、歴史のあるサークルだったんですが、組織の一部として動くのが苦手で、自分で色々決めたいタイプだったんです。『伝統だから』とハッキリした理由の無いルールに従うのも当時は苦手でしたね。

赤木:確かに、世間的にはテニスサークルってユルいイメージがありますけど、歴史あるサークルだとそういう空気ってありますね。

渡辺さん:それでもテニスは好きだったんで、コートを借りて友達と闇錬(やみれん 正式なサークル活動ではないテニスの練習会)をしたりしていました。

新人時代

渡辺さん:卒業して東京で就職したんですが、夏休みに半年ぶりに同期とテニスをやったらやっぱり楽しくて、会社のテニス部に入って部活動とか合宿とか積極的に関わるようになりました。

赤木:その時は大学のサークルの時みたいな空気は無かったんですか?

渡辺さん:そうですね。実は学生サークルよりも社会人サークルの方がフラットで、レベルも様々で変なルールとかも無かったんです。

でも就職して1年半で大阪転勤になってしまって、一旦リセットされました。

大阪での活動

赤木:大阪でもテニスを続けられたんですか?

渡辺さん:そうですね。会社のテニス部が大阪にもあって、テニス経験者という事もあって当時の部長に誘われてやっていました。その後部長が異動になったのがきっかけで私が部長をする事になりました。

周りの人は私より5歳くらい上だったんですが、そこでも可愛がってもらえて上手くいっていましたね。そのうちもっと人を増やしたいと思うようになっていました。

転機はmixiの台頭

渡辺さん:2005年にSNSサービスのmixiが出てきた頃でした。その後爆発的に流行りだして、色んなテニスコミュニティができました。私は流行りだした頃すぐmixiを使って外部の人を集め始めました。

そこで集まった人と社内の人、その友達のメンバー部活を乗っ取る形で(笑)スピンアウトして、練習会や合宿をするようになりました。

赤木:確かに、人が集まるとどうしても温度感が出ますよね。それで熱意ある人だけで別のサークルを作るケースも結構ありますし。人数はどれくらいだったんですか?

渡辺さん:1年半(+1年)の活動で最終的には80人を超えました。コートを2面借りて16人くらいで練習するイメージですね。

大学サークル時代の反省点を活かしつつ、「ツーバウンドするまであきらめるな」をテーマにした、男女とレベルの垣根のないテニスサークルでした。

でもここでまた異動になって、今度の異動先は名古屋だったんです。

名古屋転勤

赤木:サークルが形になったタイミングで異動になるんですね 笑

渡辺さん:それで今度は名古屋で1つのテニスサークルの立ち上げに関わり、自分でもサークルを立ち上げて他のサークルと交流したりと積極的に動いていました。

でも実はこの頃大阪の自分のテニスサークルにも行ってたんです。

赤木:え!?名古屋から大阪までですか?

渡辺さん:はい。「がくちゃん、大阪まで通ってよ」と言われて)、週末は名古屋から近鉄特急で大阪に行っていました。だから平日は名古屋で週2,3はテニスして、土曜に名古屋でテニスサークルを運営してから夜に大阪に行く。日曜は大阪のテニスサークルを運営して、アフターを楽しんでから終電で名古屋に帰るという生活を送っていました(笑)丸一年(笑)

赤木:テニスを中心にした生活って感じですね。

渡辺さん:そうなんです、仕事もテニスをやる為にやっていたような感じで、それ自体にやりがいみたいなものを感じてはいなかったんですね。それである時『このままテニス中心の生活で良いのかな?』と疑問を持つようになって、その時東京にいた先輩に誘われて今の会社に転職しました。ちなみに名阪のテニスサークルの活動で、2年半で6組が結婚しました。今のところ誰も離婚していません(笑)

赤木:今の会社はどういうところなんですか?

渡辺さん:私の部署では教育関連のITシステムと受託運用サービスを提供しています。教育に関しては以前から関心のある分野でしたし、前職もIT系の会社でしたので。

再び東京へ

インタビュー

赤木:東京でもテニスを続けていたんですか?

渡辺さん:東京では自分で立ち上げはしていなかったんですが、10年くらい特定のテニスサークルに参加していました。テニス協会に加入するところからつなぐところ、対抗戦の企画、草トーナメントへの参加企画とかをやっていたんですが、10年もいると実質的な裏番長みたいになってたと思います(笑)

ちなみに妻と結婚した後に、このサークルと出会いました。妻との出会いは大阪のテニスサークルだったんですが、私が東京に来た後すぐにこっちに来てくれて、その後結婚する事になりました。

パデルとの出会い

赤木:パデルとはどういうきっかけで出会ったんですか?

渡辺さん:2015年に、現日本パデル協会副会長の玉井さんがパデルで起業した後、クラウドファンディングでパデルコートを作ると言う話を聞いたのがきっかけです。

玉井さんとは元々テニスで繋がってたんですが、突然「パデルが熱い!」って言いだして。

最初はテニスから離れるつもりはなくて冷ややかに見てたんですけど(笑)、熱意に負けてパトロンになりました。

それでクラウドファンディング達成してパデル体験ができるイベントに参加したんですけど、実際にやってみたら凄く楽しかったんです。

それから私もテニス仲間に声かけて、一緒にパデルをやるようになりました。

パデル&BBQイベント

赤木:渡辺さんさんはパデルとBBQを併せたイベントをされていますが、それはいつから始められたんですか?

渡辺さん:パデルを始めたのが2016年で、パデルを始めてまもなくして日本パデル協会会長の中塚さんが行なっている、南米風のBBQ「アサード」とパデルを組み合わせたイベントに参加させてもらったんです。見た目がすごくて美味しくて楽しくて、この集まりに衝撃を受けました。

私がBBQを併せたイベントを始めたのはその1年後の2017年6月でした。

当時は川口でやっていたんですが、今は所沢でやっています。

BBQのクオリティも回を重ねるごとに上がってて、1年前には自分で機材買って練習したりしていました 笑

赤木:自分で機材買うって凄いですね 笑

渡辺さん:『バーベキューインストラクター検定』って言う検定試験を受けたり、今でも新しいメニューを試したりと試行錯誤しながらやっています。

※現在は中級バーベキューインストラクター

インタビュー

▲ガクパデBBQの名物『丸鶏のビア缶チキン』。

パデル+BBQの良さ

渡辺さん:ガクパデのコンセプトは『家族・恋人・友達・単品・老若男女国籍問わず初心者から日本代表までカモン!』です。

初心者でも大歓迎ですし、赤ちゃんを連れて来たりもできます。ちなみにガクパデの最年少参加記録は「0歳2ヶ月」です(笑)

赤木:パデルはコートが壁に囲まれてるから、外に飛び出たボールが赤ちゃんに当たったりしないんで安心ですしね。

渡辺さん:そこが結構大きなポイントで、子供ができてスポーツができなくなってしまった人でもガクパデなら楽しめるんです。周りに大人が沢山いるから、親御さんが試合してても常に誰かは見てくれてますし。

赤木:私も参加した事があるので分かりますが、皆がガクパデを成立させてるような空気感が有りますよね。まさに『コミュニティ』って雰囲気が凄く良いです。

渡辺さん:パデル日本代表選手がコーチしてくれたり、還暦を過ぎた方が奥さんと娘さんやお孫さんと来たり、色んな人が集まってワイワイしていますね。初心者専用コートを確保してレッスンをしたり、打てる人達は別のコートでひたすら試合やったり、最後はみんなで混ざって試合をしたり、皆がそれぞれの楽しみ方で満足してもらえるように設計しています。

『サークル』ではなく『コミュニティ』を創る

渡辺さん:私はガクパデは『サークル』ではなく『コミュニティ』だと考えています。

赤木:サークルではなくコミュニティですか?

渡辺さん:サークルって言うと、『柵』みたいなイメージがあって、ちょっと入り込みにくい感じが出てしまうんですよね。

『コミュニティ』って表現の方が、誰でも参加OKってイメージになりやすいと思ってます。

赤木:その感覚分かります。身内感が出過ぎると言うか、どうしても新しい人が参加しにくい感じが出てしまうんですよね。

渡辺さん:ガクパデに参加した人が言ってくれている名言があって、『上手い人はいるけど恐い人はいない』って言葉です。これもコミュニティとしてうまく機能しているからだと思いますね。

また、今年からスペインのトップパデルブランド『スターバイ』の世界初のアンバサダーとなり、活動の幅が広がりました。個人的には色々な人達や企業とコラボして活動していきたいと思います。

パデル

▲ガクパデの集合写真。子供から大人まで皆で楽しんでいる事が分かります。

セミナー活動、これからの展望

赤木:渡辺さんは最近セミナーも開催しているんですよね?セミナーではどんな事を話してるんですか?

渡辺さん:『ガクパデセミナー』と言って、お話したようなガクパデのコンセプトについて話をしています。目的はガクパデの応援者を募る事です。

赤木:応援者というのは参加者とは別という事ですか?

渡辺さん:はい。ガクパデを含めて私の活動を応援してくれる人を募っています。これは私の夢なんですが、将来は自分でパデルコートを持って運営したいと思っているんです。

今はガクパデと言うコンテンツを提供していますが、パデルコートというハードウェアがあればそれをもっと広める事ができます。例えばセミナーでガクパデのノウハウを伝えれば、コートが増える分だけガクパデのコンテンツも広める事ができます。

他にも、例えばスペインにパデル留学したいという若者を応援したり、コミュニティが大きくなればできる事の幅が広がりますから、そういった事をやっていきたいと思っています。

▲セミナー参加者との1枚

コミュニティの役割

渡辺さん:コミュニティには色んな良い部分があると思うんですが、その一つが『教育』だと思います。ガクパデでは小学生が受付をしてお金のやり取りをしたり、子供がBBQの野菜を切ったり、焼ける前のおもてなしの一品を作ってもらったり、他の子どもと協働して作業をしてもらったりしています。そうする事で、年齢を越えた関わりや社会性を楽しみながら学ぶ事ができます。

赤木:子供にとって、親や先生以外の人との関わりって凄く良い勉強になりますよね。

渡辺さん:2020年度から大学入試改革が始まります。教育の在り方が今までと根本的に変わっていきます。

人口減が大きな要因だと思いますが、昔のように知識を詰め込んで会社に入って終身雇用で老後を迎えるという時代ではなくなります。そうなった時に、コミュニティから学ぶ事がとても重要になるんです。それは人との関わり方だけじゃなく、答えの無い問いに対して自分で答えを作っていくような体験も有りますね。

赤木:親御さんは子供を見ながらパデルをして、子供は遊びながら学べる空間って良いですね。

渡辺さん:後は、『自分の居場所』ができると言う事も大きいですね。

例えばサラリーマンだと現役で働いている間は会社があるから良いんですが、定年で仕事が無くなると趣味が元々なかった方は途端に暇になってしまいます。でも外のコミュニティに溶け込めない年配の人って結構多いんです。人生100年時代を考えた時、これは大きな問題になる。そういった方々もガクパデで救いたいと思っています。自分がいてもいいんだ、と思える場所を創りたい。

赤木:まさに家族・恋人・友達・単品・老若男女国籍問わず一緒にいられる居場所ですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

パデルとBBQを組み合わせてコミュニティを作っていくと言う考え方、コミュニティの在り方については私達とスポーツとの関わり方の中でもとても重要になると思います。

スポタスでは『スポーツ+何か』を持ったスポタス人をこれからもご紹介していきます。

この記事の記者紹介
スポタス編集部

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支店長と社会人チームキャプテンの顔を持つスポタス人。ドイツ留学・ミャンマーA代表との試合を経て得た、サッカーによる地域貢献とは。

スポタス人とは スポーツだけではなく、プラスアルファの形でスポーツと関わるキラキラした人物。 スポタスでは、『スポタス人』のインタビューを通じてスポーツとの様々な関わり方を発信しています。 高田 遼 1991年 浦和生まれ 社会人クラブ『FC.BANDELIE(バンデリエ)』所属 幼少期よりサッカーを始め、小学校~高校まで大きな戦績を上げ続ける。 大学ではサッカー部を退部した後ドイツへサッカー留学、帰国後は所属するフットサルチームでミャンマーのA代表との親善試合に選抜される。 社会人になった後、FC.BANDELIEでキャプテンを務める。   サッカーを始めたきっかけ 赤木:サッカーはいつから始められたんですか? 高田さん:幼稚園の年中からですね。通ってる幼稚園にサッカークラブが有って、友達がやっていた事もあって私も始めました。私の出身地である浦和はサッカーが盛んで、各幼稚園にもサッカークラブがありました。 赤木:確かに、浦和は100年以上のサッカーの歴史があるって言いますし、小さい頃からサッカーが当たり前にある環境なのも分かりますね。 高田さん:小学校では地元の少年団に入りながら、5年生時からはFC浦和という浦和の選抜チームも所属していました。 赤木:少年団と選抜チームの両方に入っていたんですね。 高田さん:はい。皆、各小学校の少年団に所属してますが、その中でセレクションがあり、FC浦和という選抜チームが結成されます。一つ上の代では全国大会で優勝している強豪チームでした。私の代は県予選で負けてしまったんですが、そのチームが全国優勝しましたね。ちなみにそこには現日本代表の原口元気選手もいました(笑) 赤木:後の日本トップ選手じゃないですか(笑)それは厳しい。 中学時代 赤木:中学はサッカーの強豪校に入ったんですか? 高田さん:中学は学区内の学校のサッカー部に所属をしました。 埼玉県大会で優勝するようなチームでしたし、少年団から一緒のメンバーが集まっていたのでさらに絆が強くなりました。 赤木:いきなり強豪校になった感じですね。 高田さん:練習量がとにかく多くて、朝錬・放課後錬とやった後、一度帰宅して今度はフットサル場で夜錬をやっていました。1日3部練…笑 そのお陰もあり、埼玉県大会で優勝したり、東日本大会でベスト8までいくことが出来ました。 赤木:凄いですね、、それだけサッカー漬けだったら勉強とかする暇なかったんじゃないですか? 高田さん:実はサッカー部には意外と勉強できる子が多かったんです。 勉強ができないと走らされたり坊主にしなければいけない事もあったので、普段の授業とテスト週間だけ切り替えて集中的に勉強していましたね。 高校時代 高田さん:高校はサッカーで選びました。浦和南高校という、漫画のモデルになったり、昔は全国3連覇を果たした伝統校です。 埼玉県では中学と高校の決勝戦が同じ日の午前と午後に埼玉スタジアム2002でやっていたのですが、私が午前に中学の決勝戦を戦った日の午後に浦和南高校が決勝戦を戦っていて、高校生ながら埼玉スタジアムをお客さんで一杯にして試合してる姿に憧れました。 赤木:高校の試合でスタジアム満員は凄いですね。 高田さん:部員は3学年合わせると150人ほどいて、まずは監督に名前を覚えてもらうことから始まりました。「高田」と大きく書かれた白Tシャツを毎日着て練習してましたね。 その中でもレギュラーとしてインターハイの全国大会に出場する事ができました。 赤木:凄いですね。練習もかなりハードだったんじゃないですか? 高田さん:そうですね。ただ練習とは別に禁止事項も多くて、高校1年時はずっと坊主。学食禁止(お弁当持参)、炭酸禁止、カップラーメン禁止、ポテチ禁止と色々と厳しいルールがありました。 当時はそれが当たり前で何も思わなかったですが、今考えるとよくやっていたなと思います。(笑) 練習は朝練と放課後練習があって、高校ではナイター設備が有ったから夜まで練習してました。メンバーの仲がとても良く、全体練習が終わったあともみんなで主体的に練習をしたりしていました。 赤木:そういうの良いですね。 高田さん:選抜で一緒だったメンバーや対戦相手として昔から知ってるメンバーも多く、勝手にベクトルが合っていたんで。 赤木:サッカーの強豪校って言うと、他県から選手を引き抜いたりしているイメージが有るんですが、そんな感じじゃ無かったんですね。 高田さん:私立にはそういう学校も有りますが、公立高ではあまり無いですね。どちらかと言うとそういう私立の高校に勝つ事がステータスになってた感じもあります。(笑) 赤木:高田さんのお話を聞いてると、『サッカー』と『地域』って密接に関わってるのが分かりますね。サッカーが街の文化として根付いているような。 高田さん:高校生の試合でも家族・OB・地元の方が沢山応援に来てくれましたし、今でも仕事等で会ったりすると気軽に声をかけてくれます。皆がサッカーに関わっているような地域なので、近隣高の選手も皆繋がりがあり、大人になってから一緒のチームでプレーすることもありました。 赤木:地域がサッカーによってコミュニティになっている感じがしますね。 ▲高校時代の一枚 大学時代 高田さん:大学もサッカーの強いところで選びました。指定校推薦でしたが、関東1部リーグに所属していた強豪校でした。 赤木:人数も多かったんですか? 高田さん:人数は1学年10人くらいで決して多くは無かったんですが、世代別の日本代表レベルの選手もゴロゴロいました。 赤木:凄いですね。公立高校からそんなところまで行くのは珍しいんじゃないですか? 高田さん:そうですね。全国から選りすぐりの選手が集まってきますからね。でも大学のサッカーは1年生の時に辞めてしまったんです。 赤木:どんな理由があったんですか? 高田さん:サッカーに求めるものの価値観の違いが大きかったですね。 高校の時は皆で全国に行くとか、同じ目的に向かって取り組む楽しさを強く感じていました。 赤木:確かに、U18日本代表くらいになると皆で勝つと言うより『選手としての自分をどこまで高められるか』みたいなところに意識が寄ってそうですね。 高田さん:私自身、当時明確にプロになると言う意思が薄くて、『ここで絶対にプロになる』と言うような決意を持っていなかったんです。そういう自分の弱さと置かれた環境に徐々にギャップができていたんだと思います。 サッカー部を辞めてからドイツ留学 赤木:サッカー部を辞めてからはどうされていたんですか? 高田さん:フットサルをやったり、サッカー部に入ってないメンバーとサッカーやったりしていたんですが、やっぱりどこか物足りず、大学3年の時にドイツにサッカー留学しました。 赤木:ドイツですか!?サッカーの本場ですよね。 高田さん:本場でしたね。今までの人生と比べ少しサッカーから離れて生活をしていると、やはり物足りなさを感じるようになってチャレンジしたくなりました。それで海外のプロテストの選考会に参加して、合格してドイツのマインツに行く事になったんです。 赤木:期間は決まっていたんですか? 高田さん:期間は1ヶ月くらいですね。夏休みのタイミングで短期留学をしました。受け入れ先はドイツの5部・6部のチームで、プロアマ入り混じってる状況でした。 赤木:やはり日本とは雰囲気は全く違ってました? 高田さん:全く違いますね。野心が強いプロ志向の選手達が、ヨーロッパ・アジア・アフリカなど色んな国から選手が集まっていましたので殺気立ってました。 ドイツで感じた日本サッカーとの違い 赤木:いきなり環境が変わって困る事も多かったんじゃないですか? 高田さん:まずは言葉の壁が有りましたね。自分の語学力不足もあり練習メニューもよく分からなかったので、初めの内は周りを見ながらどういうメニューをやるのか理解するようにしていました。チームメイトともコミュニケーションを取りながら連携を深めたり、向こうで知り合った日本人もいました。 赤木:プレースタイル等に変化はありました? 高田さん:ありました。ドイツのサッカーって皆がエゴイストな世界で、いきなり来たような日本人選手にパスをくれるって事が無いんです。 赤木:凄いですね。ある意味合理的と言うか、競争意識を突き詰めるとそういう形になるんですかね。 高田さん:私は元々ゲームメイクや攻撃が好きだったんですが、ボールをまわしてもらえないので、守備の意識が非常に高くなりました。パスがもらえなくても守備ができれば自分でボールを奪えますからね。あとは一度ゴールを決めると、うってかわってパスをくれるようになるので。笑 赤木:まさに生存戦略って感じですね。 ▲ドイツでチームメイトと 帰国後 高田さん:帰国後、当時入っていた社会人フットサルチームの監督が以前ミャンマーの代表監督を務めてらっしゃり、その繋がりでミャンマー代表と国際親善試合をする事になりました。会場はミャンマーです。笑 赤木:ミャンマーのA代表ですか!?凄いですね。 高田さん:ただ結果は私達の負けで、想像よりも強かったですね。身体能力が高くて足が速かったです。 赤木:相手は国の代表ですからね。。 ▲ミャンマーでの一枚 ▲現地の新聞にも取り上げられました   FC Bandelieに入団 高田さん:帰国後、社会人になってから4年目の時に今所属しているFC Bandelieに入団しました。きっかけは当時参加していた人材業界のフットサルにFC Bandelieの人がいて、そこで声をかけてもらった事です。 赤木:FC Bandelieに所属した理由などありますか? 高田さん:FC Bandelieの目指す理念に共感をできた事ですね。FC Bandelieは東京都2部のチームなんですが、1部昇格を目標にしています。ですが、それはより多くの人に『サッカーの価値を伝える』ための手段として捉えており、最終的には『サッカーを通じて地域の課題を解決する』事が出来れば嬉しいです。 赤木:なるほど。サッカーと地域って密接ですからね。サッカーを通じて地域の課題を解決すると言う考え方は凄く合いますね。 これからの活動について 高田さん:私は今までの人生でサッカーを通じてたくさん人との縁ができ、仲間も増えました。上手く言葉にできませんが、サッカーをプレーする楽しみだけでなく、『サッカーを通じてこんなに良い事があるんだよ』ということを広く知ってもらいたいと思っています。 今はさいたま支店で仕事をしており、地元のサッカー好きのパパさん・ママさんと関わる機会も多いです。そういった方々と仕事×サッカーを繋げたコミュニティなんかを作っていきたいと思っています。 赤木:確かに、浦和はサッカーの街で、サッカー文化が根付いている街なので、サッカーのコミュニティはできそうですね。 高田さん:最近はプロが全てじゃないと思いました。もちろん、自分にプロとして活躍できる実力があればなっていたと思いますが。 ただ、週5日仕事をしている社会人としてもサッカーに携わる事は出来ますし、プロの選手とは違った角度からサッカーを見ることも出来ると思います。 様々な縁や出会いを与えてくれたサッカーにはとても感謝しています。 仕事とサッカーについて 赤木:サッカーって競技者としてのピークが早いと思うんですが、仕事をしながらサッカーをそこまで真剣にやれる事って凄いなと思ってしまいます。 高田さん:私にとっては仕事もサッカーも同じような感覚で、サッカーを真剣にやった方が仕事もはかどるんです。私は現在FC Bandelieでキャプテンを務めていますが、会社ではパソナさいたま支店の支店長も務めています。平日は会社のメンバーに対して、土日はFC Bandelieのメンバーに対してどうやったら主体的に動いてもらい楽しんでもらえるかばかり考えているんですよね。内容は違えど根本は一緒なのでそこに垣根は無いです。 赤木:なるほど。 高田さん:何事も真剣にやっていると、自然と人が付いて来てくれたり、会社の方々も応援してくれるようになります。新しい出会いにも繋がり、それはただの知り合いを超えた関係性の構築が出来る可能性もあります。 私はこれをサッカーを通じて得られたものですし、そういった事も広く伝えていきたいですね。 ▲仕事の様子を撮った一枚。『チーム長』と『キャプテン』、それぞれ通じるものがあります。 まとめ いかがでしたでしょうか。 このインタビューで話されている事は、スポーツと地域の関わり方を考える中でとても良い事例だと思います。 プロになる事が全てではなく、社会人をやりながら、自分だけのやり方でスポーツと関わり、地域に貢献していく姿はまさに『スポタス人』ですね。 スポタスでは『スポーツ+何か』を持ったスポタス人をこれからもご紹介していきます。